11月28日深夜、思いかけもしない悲しい知らせを受け取った。ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生がご逝去されたというのである。お体の具合がよくないということは、漏れ聞いてはいたがあまりに突然で、あまりに早すぎる訃報に耳を疑ってしまった。
ルネ先生の功績については、改めていうまでもないだろう。1971年のノンノ創刊以来、ずっと「星占い」を担当され、日本において女性誌における占星術の礎をしき、またその洒脱な筆致のコラムやエッセイで多くの人々の心をつかんでこられた。
TVにおいても「三時に会いましょう」などの人気番組でレギュラーを担当されて人々に愛されてきた。ある程度以上の年齢の方であれば、ダンディな口調でコーナーの最後に「それでは、みなさまに星の恵みがありますように」と締めくくられていたのを覚えておられるだろう。
今、あらゆるメデイアにおいて星占いというコンテンツはなくてはならないものになっているが、その先駆となられたのはまさしくルネ先生だったのである。いや、単に星占いだけではなく、女性誌やファッション誌といった文化そのものの立ち上げの一角を担われたということを、忘れてはならない。
また「マイバースデイ」をはじめとする占い専門誌などでは積極的に西洋占星術、神秘学、魔女、妖精などを題材に少女や少年に夢とロマンを与えてこられたのである。
誰が何といおうと、今の日本において星占いや西洋占星術のイメージを定着させ、カルチャーとして普及させたのは、ルネ・ヴァン・ダール氏の功績である。
ぼく自身、ルネ先生の影響下で育った人間である。68年生まれのぼくは、物心ついたときからルネ先生の活躍を仰ぎ見ていた。少女向けの星占い雑誌を、恥ずかしさを押し殺して書店で購入し、家に帰る途中でルネ先生やルネ先生率いる多くの占星術家たちの記事を夢中で読んでいた。
軽妙洒脱。「お洒落」と漢字で書くのが似合う。江戸っ子で粋なそのエッセイの文体にひそかに憧れて、ときに「写経」していたことがあったのも思いだす。薔薇十字、神秘学、ホロスコープ、曼荼羅、ユング、などなどといった言葉にぼくが初めて触れたのは、ルネ先生のご著書からだったと思う。たぶん、10歳のころのことだ。
しかし、若気の至りとは恐ろしいもので、10代、20代のころはルネ先生の功績をきちんと受け止められていなかったのかもしれない。少女向けのソフトでファッショナブルなお仕事に目を奪われてしまい、ハードな「占星学」とは異なるものだと感じてしまっていたのである。
もしかすると、現在の後進のなかにもそのように感じておられる方もいるかもしれない。あまりに多面的なご活躍ぶりに、その真価がかえってわかりにくいということもあったのではないか。
占星術は精密科学ではない一つのアートであり、カルチャーである。長年にわたって「星占い」をこれほどまでに魅力的そして夢あるものとして紹介されてこられてきたという才能と努力には、どんなに感謝し、敬意を表しても足りることはないだろう。
結果的にぼく自身がメデイアで仕事をさせていただいているので、長くこの業界で「星占い」という近代における鬼っ子を大事に育てていくことの大変さは、少しはわかるつもりである。
また、独自に心理学と占星術との融合をはかり、後進の育成を続けてこられたということも忘れてはならない。
ぼくが英国の占星術家たちの門をたたくようになったのも、いまにして思えば間違いなくルネ先生の影響があったのだろう。
いや、ぼくだけではないはずだ。多くの占星術家や占星術ファン、編集者など直接、間接にルネ先生が手を伸ばし、紹介してくださったその光を浴びてそだってきているのである。
ぼく自身、ルネ先生に直接お目にかかったのは、これまで数度しかない。意外に思われるかもしれないが、本当にそうなのだ。当時はこの業界の先輩たちの間で、草創期にありがちな複雑な人間関係などもあり、ご挨拶するのをぼくのほうで勝手に遠慮していた。間をとりもってくださったのは、たしか占い専門誌の「モニク」での対談だったのだと思う。
ルネ先生に、「幼いころからご著書を拝読させていただいております」と申し上げるととても喜んでくださり、後日、直筆のお手紙までいただいて感激した。
二度目はやはり説話社さんの何かのイベントだった。大御所の先輩たちと並んでスピーチをするときに、そっと励ましてくださったのを覚えている。そして、「こういう若い人たちの受け皿にならなければ。老害といわれてはいけませんからね」とおっしゃってくださったのも強く印象に残っている。
また、冬の京都で旅行中の先生とばったりお会いしたこともあった。記憶に新しいのはぼくの企画で、日本における占星術3世代という企画を、やはり説話社さんにお願いして開催していただいたときのことだ。若い占い師ユニットNOT FOR SALEくんたちとぼく、そしてルネ先生という星占いの系譜をたどるという企画を2010年にやらせていただいた。
打ち合わせの食事を、ルネ研の方々とご一緒させていただいた。先生のイギリス留学時代のことなど、楽しく聞かせていただき、やっと先生との距離が少し近くなったような気がしたものだった。
そのとき、ご著書『運命学の真実』を頂戴した。開くと、そこにはすでにサインがされていた。添えられていた言葉は「夢の続きを」。まさかそのときは、それが最後になるとは思わなかった。
「今度みんなで別荘に遊びにいらっしゃい。ご飯くらいは、私が年上なんだからごちそうさせてくれるというのが、筋というものだよ」とおっしゃってくださり、そのお言葉に近々甘えさせていただこうと考えていたおりに、この悲しいお知らせを受け取ったのである。
ルネ先生。
「夢の続きを」それはぼくだけに向けられた言葉ではないと思っています。占星術家や星占いファンだけに向けられたものでも、きっとなかったのでしょう。それは星を愛し、占いのロマンを愛し、そして見えない世界を大切にしていこうとしているすべての人、ますます世知辛くなろうとしているこの世界のなかで、潤いを失いたくないすべての人に向けられたものだとぼくは受け止めています。
夢の続きを、先生は星の世界からどうか見守っていてください。
きっとぼくたちは、それをもっと素敵なものにしていきますから。