「鏡の視点」とは

鏡リュウジが何を感じ、何を思考しているか。気楽なものからレクチャー的要素もからめた雑文コーナー。海外のアカデミズムの世界で占星術を扱う論文などの紹介も積極的にしていく予定です。

Character is Destiny? 占星術におけるダイモーンの感覚をめぐって2

Character is Destiny? 占星術におけるダイモーンの感覚をめぐって1
Character is Destiny? 占星術におけるダイモーンの感覚をめぐって3

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ダイモーンは星の守護霊にして運命

さらにここでダイモーンが「運命」と訳されるほど、運命と緊密に結びついていることを確認しておこう。そしてこれは、占星術的宇宙観と深く結びついている。
この結びつきを端的に示すのが、プラトンが『国家』の挿話として語る「エルの神話」である。戦士エルはある種、臨死体験をして魂がこの世界に受肉する様子を目撃する。星の世界では宇宙の紡錘を必然の女神が回転させ、その膝下に運命の三女神モイラが運命の糸を紡いでいる。生まれる前の人間は、与えられた運命の糸を籤によって選ぶ。そして「この女神は、これからの生涯を見守って選び取られた運命を成就させるために、先にそれぞれが選んだダイモーンをそれぞれのものにつけてやった」(※15)というのだ。ダイモーンは運命を決定づけるものであるとともに、またその成就者でもある。ただし、この運命の籤を選んだことを、人は覚えていない。人の魂はこの地上世界に生まれ落ち受肉する際に、忘却の河の水を飲むことになる。そこで、生まれる前のことを全て忘れてしまうというのである。
この運命の籤を引く場所、必然の女神と運命女神モイラがおわすところは、宇宙の天球である。
エルは魂となって旅を続け、「天空から光の綱の両端が伸びてきているのを見」た。この光は「天空をしばる綱」であり、「回転する天球」を締めくくっている。ここで必然の女神は、8つの同心円状の車からなる紡錘を回転させている。(※16)占星術家にとっては、この8つの同心円状の車とは、7つの惑星および恒星からなる天球を指すことは明らかだろう。必然の女神の紡錘、そしてモイラたちの糸車は、天球の荘厳な回転に表象される宇宙の秩序を示す。プラトンの時代にはいわゆるホロスコープ占星術は未だギリシャ世界には浸透していなかったが、この宇宙モデルは、ヘレニズムからルネサンス時代へと続く占星術の基盤となってゆく。そして、この運命としてのダイモーンは、星と結びついてゆくのだ。
『英雄伝』でも知られる1世紀のプルタルコスには、このような一節がある。
「あなたはダイモーンを目にしていることに気がついていないのだ。…あなたが目にしている、あの消えゆくように見える星たちは体が身体に沈み込んでいる魂であって、他方、闇や暗黒を泥土のように振り払いながら下の方から現れては再び輝き出すような星たちは、死後に身体から浮遊した魂であると考えるのだ。そして上のほうへ運ばれている星たちが、「知性を持つ」と言われている人間たちのダイモーンなのである。」(※17)
ダイモーンは死者たちの魂と同定されているが同時に「星」でもあることに注目されたい。さらに、3世紀のプロティノスではプラトンのエルの神話をはっきりと星と結びつけ、占星術と合わせて論じることとなる。プロティノスは、プラトンの論に従って

「われわれは魂を星々からもらって来ているのだとして、われわれを星々に縛り付け、またこの世界にやってくる際にわれわれを必然性に従属させるのである。」 と述べている。(※18)

ホロスコープ占星術と星のダイモーン

学生時代、僕は教室でこのような哲学者の神話的思考を興味深く聞いていたのだが、このような思弁が実践的な占星術に応用されていることを比較的最近まで思い至らなかった。実践占星術と哲学的、神話的思弁は別物だという先入観があまりに強かったのである。この先入観を打ち破ってくれたのは、ドリアン・グリーンバウムの業績『ヘレニズム占星術におけるダイモーン』であった。ヘラクレイトスに遡り、プラトンが宇宙化したダイモーンは、ドリアン・グリーンバウムが見事に論じたように占星術の理論と実践の伝統の中にも確かに組み込まれているのである。(※19)この小論ではグリーンバウムの大きな仕事を要約することすらできないが、この研究では実践占星術の場では、個人的な星のダイモーンをホロスコープから同定する技法がいくつも考案されたことが原典資料を紐解きながら詳細に論じられている。
ダイモーンの占星術の残響は今でも残っている。ホロスコープの第11ハウスが「善きダイモーン」、第12ハウスが「悪しきダイモーン」のハウスと呼ばれていたことを思い出されたい。
また、俗にアラビック・パートと呼ばれるもののうち、「パート・オブ・フォーチュン」とホロスコープ上でアセンダント-ディセンダント軸を挟んで鏡像関係になる位置を「パート・オブ・スピリット」と呼ぶのもご存知だろう。アラビック・パートというのは誤解を招く表現であり、これらはヘレニズムの占星術に遡り、より正確には「ダイモーンのロット(籤)」と呼ぶべきものである。エルの神話において、生まれる前の魂が運命の「籤」を引いたことを思いだしたい。この「ロット」には星から引き当てた運命という響きを聞き取ることは十分に可能であろう。
さらにヘレニズム占星術では「オイコデスポテス」、つまり「マスター・オブ・ハウス」と称する、ホロスコープそのものを代表する天体を選定する技法が様々な形で提案されてきた。ヴァレンスは主たる天体(太陽、月、おそらくはアセンダントとMC)とそのバウンド(ターム)ルーラーのうち、良い位置にあるものをオイコデスポテスとせよという。あるいはフィルミカスは単純に月が入っている星座の次の星座のルーラーをみよという。(※20)
またプロティノスの弟子ポリフィリオスは、『テトラビブロス入門』において、個人的ダイモーン、すなわち本人の運命を示す天体を算出する技法を論じた。(※21)

このような伝統を継承しつつ、15世紀のプラトニストにして占星術家でもあるマルシリオ・フィチーノは、ヘレニズムの伝統をこのように要約している。

「出生時のダイモーンを知るには、ポリフィルオスは出生時にもっとも優勢であった惑星を選ぶという法則を発見した。ユリウス・フィルミカスは優勢な惑星とはより強いデイグニティを持っているもの、あるいは月の星座の次の星座の支配星であるという。・・・・」(※22)
むろん、アラン・レオがこうした古典占星術の技法に通じていた可能性は低い。ただ、レオは一般に考えられているよりも、あるいは一般に思われているよりも(※23)はるかに伝統・古典占星術の知識があったのは確かである。レオの有名な土星についての講演では、レオはプトレマイオスの『テトラビブロス』を仔細に引用している。(※24)レオがテトラビブロス三書に見られる寿命星としてのオイコデスポスを知っていた可能性は極めて高い。
そしてレオは紛れもなくこの「星のダイモーン」の伝統の継承者でもあったのだ。それはレオが「星の天使」Star Angelについて述べるのを見るとはっきりする。
レオの妻であった、ベシーは夫の伝記の冒頭に、レオの生涯のモットーをまとめている。そこにはもちろん、Character is Destinyという言葉もあるがそれと並んで「星の天使」という言葉が登場するのである。

「私は、ひとりひとりの人間が天の父なる星、あるいは星の天使に身を寄せていると信じる。ちょうど、聖書がイエス・キリストについてそう語っているのと同じように。」(※25)
これは15世紀のフィチーノがイエスの降誕を告げた「マギの星」が天使であったとする解釈を思い起こさせる。(※26) またフィチーノは星のダイモーンが天使とされたとはっきり述べている。(※27)

ただしレオはこの星のダイモーンを算出することにはあまり興味はなかったようだ。リズ・グリーンは、レオの占星術で強調されているアセンダントのサインのルーラーがこれに相当すると考えているが、(※28)その根拠は乏しいように思われる。僕としては、強いて言えばレオが古代のヘルメス思想を神智学経由で引き継いだ太陽崇拝から考えて「インディヴィジュアリティ」を示すとレオが考えた太陽がダイモーンを導く天体にふさわしいと考えたであろうと推測する。
いずれにせよ、レオはダイモーンを特定する占星術的技法については、3世紀のイアンブリコスの次の言葉に同意したのではないだろうか。

「人のダイモーンについて真実を語るとするなら、その実体が来るのは、天の限られた一区画からでも、可視の領域のある要素からでもなく、コスモス全体、あらゆるものが由来するこの多様な生すべてに由来するのである」(※29)

イアンブリコスは客観的な星の位置の計算ばかりによって運命(ダイモーン)が導けるとは考えていなかった。ダイモーンの星を特定するのは真に神的なものとの接触による霊的な作業であり、一種の神秘であると考えていたのであろう。
レオのCharacter is Destinyという句は、レオの「星の天使」という概念と結びつけて考えたとき、この新プラトン主義的な系譜へと再接続される。独自の解釈が目立つとはいえ、レオが深く関与した神智学を経由して新プラトン主義、ヘルメス主義的な思潮は19世紀から20世紀にかけて復興していたことを忘れてはならないだろう。レオの占星術は単純に伝統的占星術の「単純化」ではなく、霊的な占星術の伝統の再興、継承出会ったとも言えるのではないだろうか。

(つづく。)

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※15 プラトン著藤沢令夫『国家(下)』岩波文庫1979,2015 p416

※16 プラトン『国家(下)』p404-5

※17 プルタルコス 田中龍山訳 『モラリア7』 京都大学学術出版会p258

※18 監修 田中美知太郎『プロティノス全集』第一巻 中央公論社1986年 p412

※19 Dorian Greenbaum The Daimon in Hellenistic Astrology Brill 2015

※20 Greenbaum p265、6にはさらに詳しい分析がある。

※21 Porphry trans.by James Holden Introduction to the Tetrabibilos AFA 2009

※22 Marsilio Ficino trans.by Charles Boer Book of Life Spring 1994 p171

※23 レオの同僚F.W.レイシーによれば、レオはラファエルのものとブラヴァツキーの教典以外にはほとんど占星術の本は読まなかったという。Bessie Leo Life and Works of Alan Leo 1919 p43

※24 Alan Leo ”SATURN THE REAPER PUBLIC LECTURES ”delivered before the ASTROLOGICAL SOCIETY, in the months of January, February and March 1916.
Bessie Leo ibid. p12

※25 Bessie Leo ibid. p12

※26 Translation and Commentary by Thomas Moore “The Star of Magi” in Sphinx Journal 6 The London Convivium 1994

※27 フィチーノ著左近司祥子訳『恋の形而上学』国文社 1985年 p136

※28 リズ・グリーン著 鏡リュウジ監訳『占星術とユング心理学』原書房2019 第4章参照

※29 Iamblichus trans.by C Clarke, J.M.Dillon, J.P.Hershbell On Mysteries Society of Biblical Literature 2003 p335から抄訳

東京アストロロジー・スクール
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