「鏡の視点」とは

鏡リュウジが何を感じ、何を思考しているか。気楽なものからレクチャー的要素もからめた雑文コーナー。海外のアカデミズムの世界で占星術を扱う論文などの紹介も積極的にしていく予定です。

スペインで遭った占い師 2

指示された通りにすると、マルコはカードをテーブルの上に開いてゆく。
「ああ、非常に繊細、とても繊細な人だ。何か神秘的なことにかかわっているね」

当たっている。が、それはいきなり言葉もできないのにタロットをやってくれといい、しかも、使用枚数を突っ込んでいるんだから当然のことだろう。

「何か芸術的なこと、絵を書いてはいないか。音楽か」

「うーん。絵ではなく文章かなあ」

「それもある。」といってまたカードを引かされる。

「おまえのことを守っている人がいる。誰かわかるね」

「ええ、たくさんの人に守られて仕事をしていますよ」

「いや、もっとはっきりした人だ。何か聞きたいことはあるか」

「仕事はどうでしょう。年も年になったのでより内実のある仕事をしていきたいんだけど」

「数年前に、あるいはずいぶん前に心が深く傷ついている。それが今の仕事と関係している。オーラとチャクラのクレンジングが必要だ。火曜日に儀式をしなさい」

さらに、「何か聞きたいことはあるか」というので、「えーっと、そのカードはどこで買えますか?」といってしまった。そばで見ていた友人は絶句。そんな質問あるかと。

だってそれが一番知りたいことなんだもの。

「おまえは学問的なことばかり知りたがっていてきちんとカードに聞いていない。それではカードは素直に答えない」

そういわれてしまうと、まさにその通り。

で、もう一人の友人を占ってもらうことになったのだが「おまえは今、3人で暮らしているね」など、かなり当たっている様子。

Kさんも「近々ロマンスが」なんていってもらっている。

どうも、ぼくの場合には素直にマルコの直観が働かないらしい。
ただ、その射るような瞳には妙な力があった。催眠的なかんじで、この眼力に射すくめられてしまう人もいるんじゃないかなあと思ったものだ。

そのあと、お茶を飲みながら、スペインの作家で誰が好きかと言われたり、フロイトの本をバッグから出してきて、これが面白いといったり、ヨガの話をし始めたりと、実に多面的でユニークな人物でもあった。

ミシマの「金閣寺」のことも話しだして、日本の感性は好きだなどという。こういう自由なボヘミアンとタロットの、似合うことよ。

ただ、ひとつ、残念だったのはこれからの運をよくするための護符をあとから売りつけようとしたことだ。先にいっておいてくれればいいのだけれど。

参考資料のためにひとつ買おうかとも思ったけれど、たぶん、そのあたりの石かなにかだと思ったので、やめておいた。

無理強いすることもなかったので、それはそれで好感が持てた。慣れていない人なら一つ二つ買わされていたかもしれない。でも、それもまたビジネス。

ただ、悪徳なのもいるはずなので、慣れない人は旅先では安易に占いなどしてもらうのは危険だなあとも実感した。

こういう占い師に会うと、古いトランプ占いやタロット占いの本にあるような、「近々黒い髪の異性に出会う」とか「青い瞳の人」といった記述が急にリアリティを持ち始める。

多くの人々が行き交うヨーロッパの南では、さまざまな人種が出会い、恋をし、また別れてゆく。占い師はそんな刹那の恋を占い、またそんなちょっとした出会いで人生のコースを大きく変えていく人々を見ているのだ。

こうしたダイナミックでワイルドな、そして知的な占い師に出会える醍醐味もまた、旅にもある。

こうした占い師との出会いもまた、ぼくの占星術やタロットを柔軟にしてくれているのだと思うのである。

東京アストロロジー・スクール
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